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◆待って曲がって◆ 煮込み

          鍋

 今と異なる趣の目貫通りがありました。柳並木のそんな通りがありました。
 通りの名前はお決まりの銀座通りといいました。
 車の流れも人の動きも賑やかで、車歩道分けるガードレールがありました。
 当店と歩道を挟んで丸くて白いガードレールがありました。

  手狭な店で忙しく働く母や兄姉を、ガードレールで待ちました。
 小さなお下げの私には“白いお椅子”はお気に入り、お足揺らして待ちました。

  やがて待つことも無く、時は過ぎて行きました。
 或る日、お椅子の前に立ちました。 “白いお椅子”は無惨に曲がっておりました。

  焼肉、馬刺、それに素朴な和食の味の店としてご利用の多い当店ですが、
 このガードレールを曲げる程多くのお客様に愛されたホルモン煮込も欠かせません。
 「この煮込なら食べられる」とおっしゃる特に女性のお客様、最近とみに増えてます。

 「暑さ寒さを厭(いと)わずにあのガードレールに腰掛けて、空席待たれた
お客様、煮込の人気は健在です」

柳並木が伐られた頃に、ガードレールも無くなりました。遠い昔のお話です。



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◆ビーナスの商人◆ 牛ロース

   敢えて上質の<ヒレ肉>を、えも言われぬ穏やかなモナ・リザに、
 <カルピ>を清廉かつ妖艶なルクレチア・ボルジアに例えんとすれば、
 差詰<ロース>はミロのビーナスと呼ぶに相応(ふさわ)しい代物なのです。            


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                      ルクレチア・ボルジア (フランクフルト美術館蔵) 模写
            

  「失った」「いや初めから存在しない」と諸説在るビーナスの腕(かいな)。
 しかし両腕を欠いたビーナスの美がそれ自体完璧なのは皆様異論の無きところ。
 “リブロース”から“サーロイン”に到る他を圧倒する存在感がビーナスの美を
 彷彿 とさせるのです。
 
 儀式めいた物腰で運び入れ横たえた彼女に、自ら注ぐ畏敬と信頼の眼差し。
 「如何です」とばかりに顧客に眼を移す間の取り方。
 出入りのお肉屋さん、名うての商人なのです。
 
  気乗りせぬ風を装っていた厨房さん、もうすでに感嘆の呻き声が漏れる
 のを堪(こら)えている様なのです。色合い、肌理(きめ)の細かさ・・・。
 指先にシットリからみ程なく溶けゆく脂質。
  ついうっかり「良いね」と一言。
 「良いでしょう」と商人、にんまり一言。
 “しまった”とばかり我に返って「抜けてるかな」と値引きを促す探りをいれても、
 「抜けてます、徹頭徹尾抜けてます」と、そうはいかぬと確たる姿勢。
 それではと「足はとても短いね」と厨房さん,一転懐柔策で攻めてみる。
 「短いですよ。誰しも納得の短さです」と類い稀なるビーナス故に商人強気で未だ譲らず。
 
  なんだか暗に私を揶揄(やゆ)したような、まず「抜けてる」とは“リブロース”の芸術的と
 思える程の霜降りが、連なる最後尾の“サーロイン”までしっかり浸透しているという事。
 また「短い足」とは、廃(すた)りになる余分な脂身もなく歩度まりが良い、つまりはお買い得を
意味するのです。
 
    貴方はモナ・リザ派 それともルクレチア
                       やはり豊穣(ほうじょう)のビーナスですか。

          

◆満帆(まんぱん)の風◆ 牛みの

             満帆の風



 王者“黒毛和牛”向かうところ敵無し。しかし揺るぎなきかの、その実力の一角に
風穴開ける“異端児”がこの<ミノ>なのです。
異国の荒野で思う存分草をはみ、産を重ねてはぐくんだ健やかな身の厚さ。
えも言われぬ歯触りにさすがの王者も歯が立たず。でもその全てが焼肉に供せるもの
でもないのです。そんな身の程知らぬ“異端児硬派”、それがじっくり煮込まれて
小気味良い歯応えの<牛ミノ旨煮>に生まれ変わるのです。只、下火とは申せ、
全てのお牛を巻き込んだ流行(はやり)風、逆風満帆吹きやられ日本の港になかなか
上陸出来ぬ“異端児”なのです。

 「本日の上ミノ、上に値わず」と頭を抱え、あたふた、おろおろ。
そんな厨房さんを尻目に、さぁ、ここから私の出番。
 さり気なく「済みません“春”盛り合わせの<上ミノ>切らしております」
「代わりに何かお好みの<上ホルモン>とか・・・」と流暢に続けるつもりが、お客様
「あっ、そう、残念!何でも良ければ、代わりは<上ヒレ>」間髪入れぬご要望、
お見事!つい私も懐勘定差し置いて「承知しました。すぐご用意致します」
 欠くべからざる<上のミノ>、たとえ代りが何であれ厨房さんとて拒みますまい。

                  “咎(とが)無き身の引き締まる 満帆の風”



◆この薔薇界隈ミステリアス◆ 牛三角バラ

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 お客様が「カルピって、バラ肉ですか?」と度々のお尋ねなのです。
カルピを措いて「焼肉」は語れません。
薔薇界隈ミステリー。さあ~カルピが焼ける僅かの間、そのカルピの謎をご一緒に。
ミステリーの常として多少の生臭さは避け得ません。
でもそこがそれミステリアスな臨場感。お気に障られましたらご容赦を。

 ご存知カルピは時代の寵児。引く手数多(あまた)で多忙の極み。
かくてカルピはバラの中。バラの茂みに身をひそめ。この茂み代役候補に事欠かず、
格の胸元腿、腕、首さえ控え居り。それら全てを幻惑的な香りに満ちた薔薇と
云う名でカモフラージュ。
 痛み伴う茨(いばら)在らずも、分け入ることは躊躇(ためら)われ、曖昧模糊のこの言葉
「カルピとはバラ肉のことなのです」・・・たいがい皆様ご納得。

 でも或るお客様、
「ここのお肉は並みで充分、一体全体どんなバラ?」と、一刀両断いきなり佳境に入るご質問。
「はい、当店では代役知らず、生粋の銘柄牛の三角バラのみ・・」などと、生臭い事
申す他御座いません。

 カルピは個々のお店が皆様の心を射止めんと、満を持して放つ刺客なのです。
「百戦錬磨のお客様!今まさにおに迫るとびっきりの今宵の刺客、果たしてどう
かわされますか」

 カルピ人気の舞台裏、知る人ぞ知る“バラバラ事件” 貴方様にそっと打ち。


 さぁ~、名探偵のおなた!上記、薔薇の茂みに散りばめられたバラバラの体の一部、全てを発見できましたか?


◆名は体を表す哉?◆ 桜バラ

                                                        

                    バラ


新種の“薔薇”で当たればビリオネアー。
フランスの伝統ある薔薇市場、どこにでもあるセリ市独特のその“のどかさ”の裏側で、
香水等の艶(あで)やかな業界の熱き視線を世界中から集めんともなれば、巨万の富が
薔薇の周りで蠢(うごめ)くのも頷けます。
一方、新種の“桜”で特に財を成した人の話も聞きませんが、その季節、日本中の桜の
下で費やされるバイタリティーと散財は、決して薔薇のそれに劣るものでは御座いません。

 さて、おこがましくも当店の桜薔薇、どんな物にも名乗り負けず、その味キャビヤに勝る
と人の言う、美容に効果の桜薔薇。最高級の桜のバラ肉をミディアムレアーで戴く、常連
さんの定番です。
 派手な名前と裏腹に知名度は今ひとつ、きっとそこには仕入にまつわる厨房さんの
思惑がありそうです。

 「世界に名だたる和洋の花の名冠(かん)するあなた、名はお味を表すや?」




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